以前友人とこのような話をした。世界が詩人で溢れたら戦争は無くなるのではないだろうか。私はなぜそう答えたかは分からないが、戦争が無くなる代わりに、皆が世界の美しい終わりを夢想するのではないかと答えた。世界の終わり。世界の終わり。時折このようなイメージを抱くことがある。人はひとりも存在せず、青黒い海が雄弁な沈黙を持って横たわり、私どもが住んでいた住居や街がただオブジェのように残されて、眠りの生を生きているのだ。そして我々の記憶と影だけが持ち主を失って、あたりを逍遙している。寂しく清潔で、詩が無人の中からは生まれて消えてゆく。その儚さのなんと美しいことだろうと。世界の終わりという言葉には、甘美な輝きも宿っている。欲望や感傷や死からも解き放たれた、誰も見ることのできない夢が存在しているのだ。我々はもしかしたら、誰もが世界が終わってしまえばいいという願望を抱いているのではなかろうか。
新型コロナウイルスの影響で“日常”は確かに変わり、そして暗愚な権力は蔓延ったまま、だがそれでも“日常”は続いていく。壊れることなく続いていく時間にうんざりするも、だが我々は生きてゆかなければならない。だが、大勢の人間に共通する問題、災難よりも大きく自分の中で世界を変えてしまう出来事だってある。それは失恋かもしれない、親しい人の死かもしれない。ここで世界が終わった、と呟いてしまうほどの哀しみや欠乏感。この映画『スターフィッシュ』は世界の終わりの映画である。音楽しか無くなった地球での、世界の終わりの映画なのだ。
主人公は親友グレイスを亡くした女性、オーブリー。彼女の家に忍び込んだオーブリーだが、葬儀の翌朝起きると町からは人が姿を消して一変しているうえに、怪物が外を彷徨っている(怪物の造形はサイレント・ヒルを参考にしたそうで、なんともグロテスクで見応えがある)。他にも生存者がおり、オーブリーに無線で連絡がある。グレイスが残したメッセージによれば、街のあちこちに隠したミックステープに世界の変貌の秘密があるようだ。オーブリーはひとり覚悟を決めて怪物が蠢く街に飛び出してゆく...
主人公を演じるヴァージニア・ガードナーはほぼ全編ひとりのみの出演だが、狼狽しつつもどこか諦め、ガラスの向こう側から何もかもが崩壊している様を眺める若い女性の役を、排他的な魅力を滲ませたクールな美貌と共に見事に演じ切っている。もうひとつの主役は音楽であり、「何年も会えていないけれど 君の葬式ならどこからでも飛んでいくよ」と、WHY?やシガーロスなどの名曲に合わせて綴られる内界/外界の風景は独創的で美しい。『スターフィッシュ』はひとりの女性のたった数日間を“世界の終わり”に設置し、恐ろしい怪物からアニメーション、彼女の意識を砂漠から海辺をも彷徨わせ、内側で生まれた綻びと心の穴ぼこから、それでも無限に宇宙が広がってゆくことをイマジネーションの奔流で魅せる大胆な詩である。
世界が終わるというのは、欠落感と強烈な虚無を抱えた人間にとって、究極の救済だ。オーブリーは親友を失い、彼女という海を失ったのだ。愛する友人と共に過ごす時間は、交わす言葉は、体をめぐる血を熱くし生命の喜びをもたらす。愛する人、愛する友人の死は海が枯渇することに等しい。オーブリーは親友が残した家で、言葉で、音楽で命を繋ぎ止めるが、それでも血が/食物が足りなくなったからには、スターフィッシュ/ひとでのように、胃袋を引っ張り出して世界を飲み込まなければならない/対峙しなくてはならないのである。かつて人が皆いなくなればいいのにと願ったことのある彼女が見る世界は、恐れも虚無もしんと静まりかえった、涙も凍った雪の降る世界だ。
随所に挟み込まれる回想シーンから、オーブリーは親友グレイスに解決することのできなかった心疚しい気持ちがあるようだが、はっきりと明確にされることはない。許して、忘れよう。本作は最後まで、世界は滅びたのか、彼女の心境もまた、曖昧なままに終わってゆく。だが、<異形の扉>が開かれた場所に向かってゆくオーブリーの姿は、世界の終わりが迫る中でひとり月と呼応し、メランコリックで官能的な姿を見せた『メランコリア』のキルスティン・ダンストを想起させる、異質な花嫁のようである。一度決定的なもの――決定的な愛――自らの海を失ってしまったら、許されたとて、解決されたとて、戻れる場所があるとは限らないのだ。そんなふうに切ないままの“救済”を鳴らす本作は、とてもやさしい。人は“容赦しない”想像力によって、傷をそのままに見つめることも、癒しの過程を見つめることも、傷口に宇宙を見出すことだってできるのだ。
世界の終わり。世界の終わりで聞く旋律は何だろう。世界の終わりで思い出すのは、見つめたいのは、どの記憶だろう。恐竜が滅びゆく時に見た景色は、どのようなものだろう。終わってしまった世界で聞こえてくる音色はどのようなものだろう。『スターフィッシュ』は今日も美しい夢を思い描き、世界の涯への旅を続ける詩人たちにとって、特別な一本になる。
(和泉萌香)
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